作成者/管理人   2022年5月実行
アプトの道〜碓氷山〜旧碓氷峠〜旧中山道
 



旧国道18号線(通称碓氷峠)の北側にあるマイナー尾根と旧中山道を歩いてきた。
コース設定は得意のヤマレコのユーザーログを参考に考えた。
序に観光歩道のアプトの道も歩いてみた。
戻りに使った旧中山道だが12年前に1度MTBで走っている。
登山者には殆ど知られていないだろがここは山サイの有名コースだったりする。

ルート/駐車地⇒アプトの道歩き⇒熊ノ平⇒廃遊歩道で取付⇒碓氷山⇒見晴台⇒旧中山道歩き⇒アプトの道歩き⇒駐車地

歩行距離/15.4km|累積標高差/977m
所要時間(休憩含)/5時間50分(7:10〜13:00)|出会った登山者/5人

藪/なし
危険箇所/なし

カメラ/Google Pixel 5a
GPS/Garmin GPSmap66s
Webサイト/山旅DIARY http://yamatabi-diary.com/



 



駐車地は峠の湯の駐車場を使わせて頂いた。


駐車地から階段を下る。


階段を下り切って、アプトの道が始まる。


アプトの道には石作のトンネルが10本程度存在した。
歴史的に価値があるもので、その筋のマニアには、たまらないと思う。


トンネルの内には明かりがあったが6時で消灯との事。(全部では、ないかも?)


碓氷湖が見えてきた。
無風のようでそれにかかる橋が逆さまに映っていた。


アプトの道で1番長い橋になる。
これが。


有名なめがね橋だった。
めがね橋の下を舗装路が通っていたが後半に歩く旧中山道に繋がっていた。


めがね橋からは鉄橋が見えていた。
新幹線のものかと思ったいたが信越本線の廃線区間だった。


熊ノ平に到着した。


熊ノ平には色々な史跡が存在した。


神社もあったので参拝した。
新コロ茶番とウクライナ劇場が早く終わりますように。


詳しく調べてこなかったので取り付きポイントが良く分からなかった。
最初は、この階段なのかと思ったが。


直前に通り抜けてきたトンネルの上に遊歩道のようなものを発見し、これだと確信した。


この橋を渡って踏み跡を辿ると。


容易にトンネルの上へ至った。
ここが遊歩道だったかは不明だが人が歩くために整備したのは間違いない。


上から熊ノ平を撮影。
長野新幹線が開通するまで使用していたのだろうから使われなくなってから四半世紀経っていると思われる。


直ぐに行き詰まったので。


右の斜面を踏み跡を参考に上がって行く。


容易に小尾根に乗った。
ここで足元に尺取り虫のような生物が付いている事に気付き、嫌な予感が頭を過ぎった。。。


目印が誘っていたので右の方へ移動する。


下の方でも見えていたが水路のようなものが存在した。


コンクリートブロックで囲われたルートの上に乗ったがこれは、そんなに長くは続かなかった。
また、ここでも尺取り虫と言うかヤマビルが足元に集っているのを目にした。(汗)
慌てて払い落とすが次から次へと襲われたのでザックから虫除けスプレーを取り出し、足元に大量に吹き付けた。
するとその後はヤマビルは集ってこなくなった。
ただ、足元チェックを頻繁にするようになり、かなりしんどい思いをした。(苦笑)


主稜線上になった。
最後は道のない所を歩いたが足元が気になって気になってしょうがなかった。
これから進む方向に目印が付いていたが。


逆方向にも付いていた。


主稜線には山道のようなものが通っていた。
最初は、それをトレースしたりしなかったりしたが結果的にトレースした方がいいと思う。


1069.6m三角点に到着した。
意外にも印刷された標識が付いていた。
それによると碓氷山と言う山名で旧中尾山となっていた。


碓氷山からは障害物が殆どなくなり極端に歩き易くなる。
地形図では破線になっていた。


これしかなかったが熊ノ平の案内が付けられていた。
こんな離れた場所にあっても意味がないのだが。


少し尾根が細くなる。
こう言う場所は殆どなかった。


地形図通り、一般道の手前は勾配が緩み尾根幅が広くなる。


一般道に接続すると登山者どころか観光客も居そうなのでその前に一服してしまう。


休憩中、足元を見ると血が滲んでいた。
さすがに怒涛のヤマビル攻撃は無傷では済まされなかった。
ただしこの1箇所だけで大した被害には、ならなかったけど。


正面が墓地になった。
さすがにここを通過するのは気が引けたが。


右側に通路があってそちらを通った。


ようやく一般道が現れ、それに接続する。


石畳を上がって行って。


見晴台に到着である。


展望は曇りの割には、まあまあだった。
思った程、人は来て居なく、ザックを置いての撮影が出来た。


この先は少しの間、舗装路歩きになる。


坂を上がった所が旧碓氷峠になる。
丁度、観光用の派手なバスが来ていた。


熊野皇大神社を参拝する予定だったがマスク信者が沢山来ていたでやめといた。


ここから登山道となる。
左側は鼻曲山へのルートでこちらを歩いたのは7年前の事だった。


ここは、どちらへ行ったも良いようだが近道を選択した。


4、5分で別れたルートと交わる事になる。


細い沢を渡る。
沢渡りは、これが最初で最後だった。


古道と言う事で所々に旧跡があった。


ここで左から来るルートと交わった。


1枚上の場所を逆方向から撮影。
12年前の画像が。


※2010年11月の画像
こちらで前回は向かって右のルートから来たが今回は左のルートを歩いた。


民家(廃屋)や。


大型バス。


廃別荘のようなものが固まって存在した。


廃別荘の先は法面補強がされていた。
間違いなくここをバスが上がって来たのだろうが旧中山道が全て車道だったとは考え難い。


この案内も車道だった頃に名残になる。


現在では、ありえない話だが学校もあったもよう。


数少ない展望ポイントになる。
中央に写ってる山が碓氷山かも?


前の方で触れたが右側がめがね橋に至る登山道になる。
このルート、12年前には存在しなかった。


この石仏は馬頭観音だったと記憶している。


ガサガサと音がしてきてカモシカが逃げて行った。
何枚も画像を写したがどれもイマイチだった。


ボケているが拡大画像になる。
餌が豊富なのか丸々太っていた。


この東屋でランチの予定だったが展望も何もなかったのでスルーした。


水場になる。


溜まり水なので個人的には飲む気になれないが。


覗に到着した。
こんな眺めだったかな?と思い以前撮った画像を引っ張り出すと。


※2010年11月の画像
全然違っていた。


覗でランチにした。
かなりいいペースで歩けていて戻ってからでも良かった位になる。


覗の先は大きく切ったルートだった。
と言うのもこの部分だけ極端に等高線が混んでいた。


地上が近付いてきた。
やけに整った場所に見えたがゴルフ場だった。


ジグザグ区間が終わると周り中、植林になる。


旧国道18号線が見えてきて登山道は終わる。


1度、来ているので知っては、いたが下山口にはめがね橋をモチーフにした東屋が存在した。


この案内によると旧中山道は上州路碓氷峠のみちとなっていた。


続きは旧国道18号線を歩いても良かったが通路が見えたのでそちらへ進んだ。


直ぐアプトの道に接続する。
場所は1つ目のトンネルの先だった。


峠の湯が見えてきた。


駐車地に着くと半分近くのスペースが埋まっていた。
出発前は4、5台しか停まっていなかったのだが。
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