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登山口の養沢神社である。
この場所は、ほぼバス停の目の前だった。
本日、十里木に車を置いてバスでここまで移動してきたのだ。
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登山道は、お堂と民家だか神社関係の建物だかの間を通っていた。
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最初だけ極端な急登だった。
雨上がりだったので滑らないよう慎重に上がる。
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右方向が自然林になり稜線が見えてきた。
この尾根、御岳山に通じる金毘羅尾根だった。
山サイの有名コースで私も2回ほどMTBで下っている。
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標識によると炭焼き窯跡と言う場所になる。
石組みが残っていたが使われた年代等、全く分からない。
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岩場が多くなってきた。
場所によっては枯れ葉で踏み跡が消え進路が取り辛かった。
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809m標高点付近で視界が開け麻生山だと思うが金毘羅尾根上のピークが見えていた。
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後ろを振り返ると関東平野である。
辛うじてスカイツリーが確認出来た。
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こちらが二百名山の大岳山になる。
ここは登るか登らないか迷っていたが結局登らなかった。
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高岩山の手前で初めて御岳山が特定出来た。
頂上の神社もなんとか肉眼で見えていた。
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最初の名前の付いた山、高岩山に到着した。
ここで休憩の予定だったが風の通り道だったのでスルーする。
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高岩山からの展望は、あまり良くなかった。
後半下る馬頭刈尾根が見える程度で樹木が元気な時季なんかは殆ど視界が効かないと思われる。
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一気に高岩山と次のピークの鞍部まで下って来る。
ここまで来れば風が除けられると思っていたが全然だめで更に先へ進む。
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鞍部を上り返すと場違いと言うか鉄骨の展望台が建っていた。
ある事を全く知らなかったので軽く驚いてしまった。
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展望台からの景色である。
こちらが都心方面で1番手前に見えるのが直前に登った高岩山で。
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意外にも風の影響がなかったので展望台で休憩&おやつタイム。
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これが山と高原地図に載っている破線ルートとの分岐か。
つ〜か、上高岩山へ数歩と言う標識も付けられていた。
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で、左へ数歩進んで上高岩山に到着である。
上高岩山は全く見通しのない山頂だった。
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上高岩山の少し先から岩は消え、極端に歩き易くなる。
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ここで2方向にルートが分かる。
標識によるとどちらを通ってもいいようだが楽そうな左を選択する。
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更に進むとまた分岐があった。
山と高原地図によると芥場峠と言う場所だった。
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続けざまにまた分岐である。
これは鍋割山方面との分岐で2年前に歩いたルートと繋がった。
と言う事でこの先は1度歩いたルートになる。
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先ず落ちる事は、ないが大岳山荘までは左が崖になってる所が多い。
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大岳山荘に到着した。
相変わらず廃墟のようだったが使ってる形跡もあってまだ管理は、されてるようだ。
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大岳山荘の所を大岳山に向かわないで左方向へ進む。
ここから初めて歩くルートになる。
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前回は気付かなかったが大岳山荘の一角は、何軒かの建物が存在した。
固まって建っているので同じ人の持ち物なのかな?
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数日前に季節外れの雪が降ったが殆ど残っていなかった。
上の画像の場所が1番多い位で他は完全に消えていた。
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大岳山からの尾根上のルートと交わった。
一応、山と高原地図に載ってるルートだが標識も何もなく現在は非正規ルートのようだ。
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ここで鋸山方面とのルート(大岳山の巻道)と接続する。
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この付近だけ笹が張り出していた。
位置的にこちらを通る登山者は、あまり居ないのだろう。
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右方向にちょっとした展望地があった。
檜原村の集落や浅間尾根、笹尾根なんかが見えていた。
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短い距離に2箇所分岐が出てくる。
こちらが白倉へ下る尾根コースで。
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こちらが本日の登山口に当たる養沢に下りられる谷コースになる。
標識によるとこの先から関東ふれあいの道のようだ。
実は、この時点で関東ふれあいの道と言う事を認識していなかった。
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南西方向を見渡す展望地だった。
私は、てっきりここが富士見台と思っていたが結果的に違っていた。
ただ、この展望だし風の影響も殆どなかったのでここで。
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南西方向を見渡す展望地から少し進むと東屋が存在した。
そこが本物の富士見台だった。
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ただ、手前の展望地より見渡す範囲が狭く景観もかなり落ちるけどね。
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富士見台を過ぎた辺りから岩場が多くなる。
細かいアップダウンも増え中々前へ進めなかった。
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山全体が岩になってきた。
多分、この付近の総称をつづら岩と言うのだろう。
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登山道は、つづら岩の南側を通っていた。
危険な所は、なかったが落石がありそうであまり居心地が良くなかった。
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おっと、見慣れて御影石の標識である。
ここで関東ふれあいの道を歩いている事を初めて認識した。
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つづら岩関連の岩場が終わりに近づくと1箇所展望地があった。
方向的に戸倉三山辺りが見えているのだろうが何処がそれなのか全く分からなかった。
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辺りが急に暗くなり周り中が植林地となった。
雰囲気はイマイチだが極端に歩き易くなる。
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鶴脚山が近づくと右に分岐が存在した。
右の登山道は尾根上のルートで尾根には千足尾根と言う名前が付いている。
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鶴脚山に到着した、と言いたい所だがここは、この辺りのピークでは、なかった。
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ピークは100m位進んだここだった。
植林との境だったのであえて手前に標識を設置したと思われる。
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また、立て続けに2箇所分岐が出てくる。
どちらも山と高原地図に未掲載だったがちゃんとした標識が設置されていたので正規ルートになる。(登山詳細図には載っていた)
多分、手前が谷コースで。
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先の方が尾根コースだと思われる。
尾根は泉沢尾根と言う名前であきる野市と檜原村の境界だった。
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馬頭刈山に到着した。
名前からして馬頭刈尾根上のメインの山になる。
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馬頭刈山で本日、最初で最後の三角点をゲットだぜ。
そう言えば前半の サルギ尾根には0個、今歩いて来た馬頭刈尾根には1個と異様に三角点の少ない山域だった。
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後は駐車地まで1時間半程度だったのでゆっくりコーヒーを飲んでから下山に取り掛かった。
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馬頭刈山の直ぐ先で正面の視界が開け都心や埼玉方面が目に入ってくる。
奥多摩でもこの辺りの景色は飯能付近に近いよね。
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馬頭刈山から100m程高度を下げちょこっと上り返して高明山に到着である。
この山は信仰の山だそうで1段下がった場所に。
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石碑の下には鳥居とこの画像には写ってないが両脇に灯籠もあって未だに信仰があるようだ。
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下山途中石碑やら祠を数ヶ所で見かけた。
年代は確認しなかったがパット見、新しい感じのものが多かった。
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高明山から200mちょっと高度を下げるとまた鳥居である。
画像の通り上にあったものよりかなり立派な作りだった。
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分岐を左方向へ進む。
予定では右に進もうと思っていたが駐車地である十里木の案内が右には、なかったので左を選択してしまう。
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ここで林道に接続する。
結局、高明山からは上り返しは、なく下りっぱなしだった。
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林道を少し進むと旧道を発見する。
位置を確認しなかったが地形図に載っている破線ルートなのだろうか?
だとすると今歩いてきたルートと全然違う所にもう1本ルートがある事になるのだが。
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軍道の集落が見えてきた。
そろそろ終わりのような雰囲気だがまだ100m近く高度を下げる事になる。
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ルート沿いに高明神社が存在した。
つ〜事は高明山直下の神社跡は、これの奥の院的なものなのかな?
そう言えば神社跡の近くに屋根の付いた祠が祀ってあった。
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終盤は軍道バス停の標識に従う。
確か3、4箇所分岐があったと記憶している。
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ようやく都道201号線が見えてきた。
後は、これを使って駐車地に戻るだけである。 |
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