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今回のコース、最初は階段上りだった。
以前から人様のサイトを観て知っていたのでなんとも思わなかったが知らなかったら驚いたと思う。
それにしても高規格な階段である。
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階段は100段ごとに一言メッセージ?が書かれていた。
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標識が見えてきて八平ヶ原方面との分岐になる。
山と高原地図によると右に進めば丸山に行けるとなっていた。
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階段は右にずれる。
そこには立派な東屋が建っていた。
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ここで階段は終わりとなる。
山登りゃーの私に取っては楽勝な行程だった。
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階段の終点にあった展望台からの景色になる。
空気が澄んでいれば絶景なのだろうが当日はイマイチだった。
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階段の先は、また階段だった。
先程のやつより大分落ちるが普通の登山道にあるやつより高規格だった。
この登山道、どっから予算が出てるのだろうか?
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この回転扉の手前で手の込んだ登山道は終わりとなる。
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回転扉の向こう側が小丸山だった。
地形的には只の平地で山頂には全く見えなかった。
ここも分岐で丸山方面とのルートと分かれる。
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何時の間にか遠くの街まで見渡せるようになっていた。
方向的に矢板の市街地辺りだろうか?
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笹原の気持ち良さそうな尾根が見えてきた。
実際には、それ程でもなかったが。
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赤薙山に近づくと樹林帯になり勾配がキツクなる。
路面も荒れてくるので歩き易そうな所を探しながら適当に進路を取った。
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最初も目的地、赤薙山に到着した。
まだまだ先が長いのでこの画像を写しただけで先へ進んだ。
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赤薙山の直ぐ先に分岐があった。
どう言うルートか全く認識していなかったが只の巻道だった。
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初めて女峰山が目に入ってきた。
この時点で約3時間のコースタイムが残っていた。
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尾根が細い所が目立ってきた。
時折、強い風が吹いてくるので嫌な感じがしていた。
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イワカガミの群生地である。
この日は所々で見掛ける事となった。
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2203m標高点に到着した。
山と高原地図によると赤薙奥社跡と言う場所で山名は無いようだ。
この場所が霧降高原と女峰山との中間地点だったので。
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赤薙奥社跡から50m程、高度を下げる。
女峰山までのルートで大きく高度を下げるのは2箇所のみでその内の1つがここになる。
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1枚上の場所から下げた分位、上り返す。
そうすると勾配は緩くなりダラダラした上りが続く。
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パーっと明るくなり2295m標高点に到着である。
この場所は山と高原地図では独標となっているがネットで調べると一里ヶ曽根と呼ばれていた。
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北の方に雪山と言うか山脈が見えていた。
飯豊連峰辺りだろうか?
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独標からの下りはガレ場だった。
それ程、滑らなかったが慎重に下る。
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50m程、下って上り返す。
ここが大きく高度を下げる場所パート2になる。
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前方に標識が現れた。
右に水場があるようだが1日分の量を持参していたので行かなかった。
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少し開けた場所があった。
直前に登った独標とその下のガレ場が確認出来た。
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足の上がりが悪くなったので早弁をした。
シャリバテ気味だったようでその後は快調に歩けた。
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崩落地である。
最初、ここが山と高原地図に出ている危険マークの場所かと思ったが位置的に違ったようだ。
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女峰山がかなり近付いてきた。
今までと全然見る角度が違っていたので違う山のようだった。
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この辺りから最後の上り始まるが。
1箇所、ロープ場があって多少であるがよじ登る感じだった。
そこが危険マークの場所だったのかな?
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離れた場所から見えていたので分かっていたが上の方はハイマツだらけだった。
風が強い事が多いのだろう。
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2463.7m三角点に到着した。
この場所は女峰山より20m程、標高が低かった。
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2463.7m三角点付近から女峰山を見上げる。
数人の登山者と大きめな祠が確認出来た。
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ほぼ女峰山に到着した。
意外にも祠は木製だった。
石祠だと思い込んでいたのでヘリコプターで運んだものと勝手に思っていた。^^
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こちらが正真正銘の山頂になる。
かなり狭く間違ってもくつろげるような場所では、なかった。
先客が4人来ていて私が到着して少しすると2人組が帝釈山の方へ消えて行った。
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私も山頂からの景色を数枚カメラに収め唐沢小屋方面へ下って行く。
また、来る予定なので長居は無用だった。
(1枚目/帝釈山・小真名子山、2枚目/真名子山・男体山、3枚目/福島方面、4枚目/上りに使った尾根方面)
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下りのルートは岩がゴロゴロしていたが見た目程、歩き辛くなかった。
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正面の視界が開けガレ場になって。
ガレ場ほ細かい石のせいで結構滑って歩き辛かった。
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避難小屋の内部になる。
築何年だか不明になるが私が今まで見た避難小屋の中でも古い部類のものだった。
ザックが1つ置かれていたがこれは女峰山に居た登山者のもので志津乗越ピストンだと言っていた。
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スペースは普通の避難小屋の倍位の大きさがあった。
お世辞にも綺麗とは言えないので積極的に泊まりたくは、ないかな。
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避難小屋の脇には祠と石仏が置かれていた。
どちらもかなりの年代物だった。
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避難小屋の所でルートは2方向に分かれる。
私が進んだ黒岩尾根は直ぐの所にガレ場のトラバースがあった。
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右方向の視界が開け真名子山と小真名子山が見えてくる。
その間には日光白根が浮かんでいた。
この辺りの山々は、これが見納めとなった。
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説明不要だろうが男体山なる。
男体山は、この先でも所々で目にした。
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そしてこちらが女峰山と唐沢避難小屋になる。
この画像では、ちと分かり辛いが唐沢避難小屋の下側の崩落が結構進んでいた。(汗)
地形図だと20m位下まで侵食が進んでいたが実際にもそれ以上に進んでる感じだった。
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開放的な所に飛び出した。
名前が付いていそうな場所だったが付いていないようだ。
なるべく平らな場所を探して。
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ランチにした。
登山道はランチポイントからまた尾根上を離れてしまう。
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ここは大岩のせいで登山道が狭くなっていた。
落ちると厄介だったが鎖が設置されているのでそれさえ掴んでいれば滑落する事は絶対にない。
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急勾配を7、80m下ると3回目になるがまた登山道は尾根から離れると言うか1913m標高点の巻道だった。
凄く眺めのいい場所で遥拝石と言う名前が付いていた。
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遥拝石の正面の景色になる。
地図で確認すると赤薙奥社跡のようだ。
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そしてこちらが2359m標高点になる。
この画像を写した時は疑いもなく女峰山と思っていた。^^
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遥拝石の直ぐ先の巻道は必要以上にマーキングされていてロストするような事は全くなかった。
特に歩き辛くもなく滑落しそうな所も見当たらず。
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3回目になるがまた、尾根上に復帰する。
終盤を除いてこの先は尾根から大きく外れる事は、なかった。
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少しの間、見えなくなっていた男体山がまた見えてきた。
その左に見えるのは前回歩いた半月山を含めた尾根のようだ。
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左には午前中に歩いた尾根である。
下に高原のようなものが確認出来たが霧降高原にある牧場のようだ。
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前方に標識が現れた。
八風と書かれていたが詳細のようなものは見当たらなかった。
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遥拝石からガレ場が続いていたがようやくここで終りとなる。
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ガレ場が終ると勾配も緩くなり笹原の気持ちのいいルートだった。
ただ、中々高度が下がらないのでさっさと登山を終わらせたい時はイライラしそうである。
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明るい場所に飛び出した。
名前が付いていそうな場所だったが標識もなく山と高原地図にも表示されていなかった。
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標識が出てきて左に脇道があるのかと思ったら水場との事。
飲水はタップリ残っていたのでそちらには行かなかった。
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辺りが薄暗くなり植林地になった。
ただし手入れは、もう何年もやってない感じで痩せ細って荒れ放題だった。
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ここで登山道は2方向に分かれる。
左のルートを選択したが右は殆ど歩かれていないようで大分、藪に覆われていた。
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標識によると稚児ヶ墓と言う場所になる。
石仏と祠があったが説明書きのようなものは設置されていなかった。
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現役の植林地である。
大分、下界が近付いて来たようだ。
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殺生禁断碑と書かれた石碑が置かれていたと言うか植わっていた。
この画像だとイマイチ大きさが分からないと思うが普通の墓石の10倍位のボリュームのものになる。
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ここで林道だか作業道に接続する。
当分これを歩くのかと思ったが5m位で直ぐに登山道に復帰したていた。
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正面に回ると小屋では、なく宗教施設だった。
山と高原地図に載っている(輪王寺)行者堂になる。
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行者堂でルートは左右に分かれていた。
私は左方向に進んだが右に行くと日光の市街地へ至るもよう。
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突き当りを右へ。
結果的に左の方が良かったようだが誤差程度の違いになる。
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車道に突き当たる。
この後、どちらに行くか迷ったが左を選択するが。
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