|
砂利道になって直ぐの所に車を停める。
もっと奥にも同様の場所があったが事後処理で使う自転車のタイヤを汚したくなかったのでほぼベストポイントだったかな。
|
|
|
駐車地から15分位の所が道証地蔵と言う分岐だった。
|
|
|
|
|
ここから林道と別れる。(逆方向から撮影)
角度的に見落としそうな分岐と言うか見落として100mちょと先へ行ってしまった。(汗)
|
|
|
上の方に高圧線の鉄塔が立っていた。
登山道は、これの脇を通っていた。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
標高1000mを越えた辺りで殆ど勾配がなくなる。
これは境界尾根がある大鹿峠まで続いていた。
|
|
|
2つ目の鉄塔になる。
地形図で確認すると2枚上の鉄塔と繋がっていた。
|
|
|
大鹿峠に到着した。
横方向にロープが張ってあるが向こう側の地盤が侵食気味のためになる。
|
|
|
大鹿峠には巡視路ポールが立っていた。
この直ぐ上に先程の高圧線の先の部分があるようだ。
|
|
|
大鹿山への登山道が見付からないまま下り始めてしまう。
しょうがないので無理やり。
|
|
|
尾根上に行ってみた。
しかし、ピークっぽい場所に頂上を示す案内は出ていなかった。
手前の三角点が大鹿山の頂上だったのかな?
|
|
|
|
|
右側に枝道である。
右側の枝道を進むと駐車地の先にあった道証地蔵へ至る。
この場所、曲り沢峠と言う名称だった。
大分、疲れが溜まってきたので曲り沢峠で。
|
|
|
|
|
曲り沢峠から150m程、高度を上げてコンドウ丸に到着である。
丁度、2人組の登山者が休憩中だった。
|
|
|
唐突に防火帯が現れた。
山と高原地図に防火帯に入るなと書かれていたが逆向きに歩いた場合で私が歩く方向だと全く関係なかった。
|
|
|
勾配が出てきた。
大谷ヶ丸まで200m高度を上げる必要があった。
|
|
|
大谷ヶ丸が近付くと露岩が目立ってくる。
ただし危険箇所も歩き辛い所もなかったが。
|
|
|
|
|
|
|
大谷ヶ丸の直ぐ先に分岐があった。
山と高原地図によると大谷ヶ丸の山頂にも枝道があってそっちは破線ルートだった。
|
|
|
大谷ヶ丸から100m位、高度を下げた所が米背負峠だった。
|
|
|
|
|
|
|
ここは大岩の右側を進んでしまいそうだがルートは左側だった。
|
|
|
日当たりがいいので藪が元気だった。
夏場とかは不快になるかも知れないがこの時季だとなんとも思わなかった。
|
|
|
次の目標物のハマイバ丸が見えてきた。
山頂付近が赤くなっていたが今回の山行で1番綺麗な紅葉だった。
|
|
|
枯れたスズダケが目立ってきた。
このような状況は、この付近だけだった。
|
|
|
|
|
展望は、いい所でこんなもんになる。
途中の方が全然開けていたかな。
|
|
|
4枚上の紅葉を近くで見るとこんな感じになる。
色は鮮やかだったが疎らで派手さは、なかった。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
人間用のゲートが現れた。
この手のものは普通、入口と出口にあるだけだが合計6、7個存在した。
それと単純な構造だが全てのドアがオートロックだった。
|
|
|
大蔵高丸に到着した。
富士山の展望で有名な場所のようだが雲がかかっててそれを拝む事が出来なかった。
ただ、本日のルート上で1番好展望な場所なのは間違いない。
|
|
|
|
|
短時間であるが山頂からの景色を楽しんだのち先へ進んだ。
|
|
|
|
|
湯ノ沢峠だった。
本来の進路は右なんだが左へ進む。
と言うのも。
|
|
|
次回の尾根繋ぎのために車が入ってきているか形跡を確かめたかったのだ。
来てみると形跡どころか古いディスカバリー号が停まっていた。
ただし地元ナンバーなので一般車両じゃないのかも?
|
|
|
峠に戻り逆側へ下る。
直ぐ先は藪があって進路が分かり辛かったがそれを過ぎると明瞭なルートが出てくる。
|
|
|
水音と共に沢が現れた。
ここから沢の中をルートが通っていた。
|
|
|
薄い踏み跡とピンクの目印を頼りに進む。
明るい内は問題なかったが暗くなるとかなりルートが分かり辛いと思う。
|
|
|
古い作業道が見えてきた。
後は、これをトレースするだけと思ったが違っていた。
あくまでもピンクの目印を追わないと全然違う所に連れていかれると言うか連れていかれた。(苦笑)
|
|
|
今日1の難所になる。
最初、下に降りて石を伝って向こう岸に行こうとしたが出来そうもないので恐る恐る橋を渡った。
|
|
|
橋の先は伐採地だった。
比較的新しい伐採地のように見えた。
|
|
|
|
|
黄色いゲートが見えてきて大月側登山口に到着である。
|
|
|
登山口には立派過ぎる案内が設置されていた。
この場所、多少道幅があったが駐車場は設けられていなかった。
|
|
|
本日の駐輪地は、こちらになる。
事後処理は下りが主体だったが20キロ近い距離があった。 |
|