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本日の取り付きポイントである原市場神社になる。
この画像を写しているとご近所の方に何処へ行くのか質問された。
山名が良く分からなかったので適当に話を合わせる。^^
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原市場神社への階段である。
階段は手すりに掴まる事なく上がれたので大した角度では、なかったと思う。
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これがお堂かな?
賽銭箱は何処にも見当たらなかった。
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鳥居の所から後ろを振り返る。
正面に見えるピークが高山(330m標高点)だと思われる。
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続きは、こちらになる。
この他にもルートのようなものがあったが基本、上に向かう道を選んで歩けばなんとかなりそうだった。
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殆どハイキングルートのようになってきた。
画像の通りベンチまで設置されていた。
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当たり前だが鉄塔が現れた。
この後も何回も鉄塔の近くを通る事になる。
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鉄塔の所で展望が開ける。
この山は方向的に去年登った周助山だと思われる。
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明らかに人工的な地形と言うか峠である。
後から奥武蔵登山詳細図で確認すると柳島峠と言う場所だった。
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柳島峠からは一般道になる。
ただし山と高原地図には未掲載だった。
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286m標高点に到着した。
奥武蔵登山詳細図によると久保山となっていた。
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山名板は、なかったがこんなものが付けられていた。
今回歩いた所は、この手のものが多かった。
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また、分岐である。
先ほどと同じで妻沢の案内が出ていた。
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この画像では分かり辛いが堀切のような地形になった。
その直ぐ先が。
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リュウガイ城跡だった。
奥武蔵登山詳細図だと龍谷山となっている。
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この祠、結構新しいように見えるが50年以上前のものだった。
パット見、10年経ってない感じでとても50年以上前のものとは信じ難かった。
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龍谷山を過ぎるとまた巡視路の標識が出てくる。
登山道の部分は意図的に設置しなかったと思われる。
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384m標高点の1つ手前のピークは、ちょっとした展望地になっていた。
画像中央に見えるピークは、この後、登る高谷(501m標高点)と思われる。
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384m標高点に到着した。
ここは名前が付いていなかった。
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当然、伐採地は展望地も兼ねていたが大した景色では、なかった。
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天神峠に到着した。
この場所は地形図にも山と高原地図にも掲載されていた。
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続きのルートも明瞭で結構歩かれてる感じだった。
人の事、言えないがわざわざこんな所、歩かなくてもいいような?^^
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舗装林道に飛び出した。
こちらへ来る前、ここが天神峠だと勘違いしていた。
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正面に続きを探すがいい取り付きポイントが見付からず。
と言うのもルート自体が存在しなかった。
でも、立木を利用して無理やり取り付いた。
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ルートは、なかったが不快になるような藪も存在しなかった。
歩き易そうな場所を探しながら適当に上る。
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4、50m高度を上げると濃い踏み跡の上に乗る。
ここから少しの間、去年の3月に歩いたルートと同ルートだった。
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高谷(501m標高点)に到着した。
ここは、あまり山頂と言う雰囲気では、なかった。
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舗装林道を越えてから初めて巡視路の案内が出てきた。
そろそろ一般道が近い事になる。
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ここはテープに標高点だけでは、なく嶺と言う文字が書かれていた。
奥武蔵登山詳細図を見た人が付けたのだろうか?
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鉄塔の所で一般道と接続する。
ここから去年の3月に歩いたルートと逆を進む。
次の目的地である仁田山峠まで急激に高度を下げる。
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後ちょっとで仁田山峠と言う所で祠が置かれていた。
林道が開設された時にでも移動したのだろうか?
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舗装林道に突き当たって仁田山峠に到着である。
この舗装林道、先ほど横断した舗装林道と同じものになる。
多分、舗装林道をそのまま歩けば15分位でここまで来れると思う。
それを3倍から4倍の時間をかけ遥々やって来たのだ。
一般的な登山者には絶対理解出来ない行動だよね。^^
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続きは、こちらになる。
画像上に見えるが手作りの標識が付けられていた。
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序盤は穏やかなルートで歩き易かった。
上の方に来ると岩場が出てくるが特に危険な所は、なかった。
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小ピークには本日の駐車地である河又の案内が出ていた。
家へ帰ってから奥武蔵登山詳細図を確認すると尾須沢鍾乳洞と言うマイナーな鍾乳洞に抜けられるとなっていた。
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このような岩場が存在した。
ここも奥武蔵登山詳細図に載っていて雷岩と言う名称だった。
雷岩は地形図にもしっかり表されていた。
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楢抜山には、このような標識が付けられていた。
この先でも同タイプのものを沢山見かける事になる。
これは仁田山峠にも付いていたが何故だかここに来るまで1つも見かけなかった。
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楢抜山でランチにした。
後は下りが主だったので珍しく長めの滞在となった。
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楢抜山の直ぐ下は等高線が混んでいた。
ただ、思ったほど急勾配では、なく全く苦労する事なく下りられた。
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楢抜山の1つ先の小ピークに到着した。
ここは天狗積と言う場所で上り下り共に露岩が多かった。
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この標識によると今歩いてる尾根には名称が付いていた。
ただし奥武蔵登山詳細図にもネットにも情報が見当たらなかったので標識を作った方が独自に考えたものかも知れない。
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三本松の直ぐ先で尾根は2方向に分かれる。
この画像では分かり辛いが赤いプラスチックの杭に行き先が書かれていた。
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尾根の名称が変わった。
どうも1枚上の場所を正面に進むと名栗尾根で右に進むと円福寺尾根のようだ。
後から気付いたのだが下山ポイントにあるお寺から尾根名を付けたみたいである。
かなりの高い確率でこれも標識を作った方が独自に考えた名前(仮称)なのだろう。
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途中でこんなものを発見する。
格言だろうか?
それにしてもこんな人が滅多に通らない場所にわざわざ付かなくてもいいような気がするが。^^
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最後の目的地、論地山に到着した。
ここは地形図だと340m標高点となっている。
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論地山にも木製の山名板が付けられていた。
byヤマレコと書かれていて楢抜山のやつと作成者が違う感じだった。
時々、ネットの情報でbyヤマレコと言う山名板を見かけるがさすがにこれらは作成者がバラバラなんだろうね。
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地形図だと論地山の先にはピークがないのだが地形図に表されていない小ピークが存在した。
そこには神社の奥の院のようなものが建っていた。
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丁度、目の前がバス停だったがタイミング的に微妙で駐車地まで歩く事となった。 |
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